【第17号】神二でロングインタビューvol.4/小泉今日子さん
[神二でロングインタビューvol.4]
原宿は、何者でもない頃の自分と現在(いま)をつなげてくれる街
小泉今日子さん
神二に関わる人にインタビューしてきたこのコーナー。
最終号の今回は、20歳のころ神二にあるマンション「ビラ・フレスカ」に住んでいた小泉今日子さん。
雑誌『SWITCH』での自身の連載「原宿百景」でエッセイやゲストとの対談とともに
原宿〜神宮前をナビゲートするなど、今もこの街とつながりを持ち続ける小泉さんに神二での思い出を聞いた。
小泉今日子さん
こいずみ・きょうこ/1966年2月4日生まれ。16歳で芸能界デビューし、現在は女優として活躍する一方、「株式会社明後日」代表取締役として舞台やイベント等の開催を精力的に行っている。2020年3月25日(水)には、自身が朗読を行う「マイ・ラスト・ソング」を世田谷パブリックシアターにて公演。詳細は株式会社明後日ホームページ(https://asatte.tokyo/)から。
文=松村小悠夏 編集=沢辺均
取材協力=ビラ・フレスカ、島田一弘
小泉さんのエッセイ『黄色いマンション 黒い猫』(スイッチ・パブリッシング)の書名の由来にもなっている「ビラ・フレスカ(神宮前2-30-22)」にて。「フレスカの部屋の窓からぼーっと外を見てたら、カラスと目が合って、窓越しに突撃されたことがあるの。怖かったな〜」。
年明け、小泉さんに取材依頼を送った
神二新聞最終号の企画会議で、社長が「小泉今日子さんにインタビュー依頼を送ってみないか」と言った。
小泉今日子さんといえば、編集部の向かいのマンション「ビラ・フレスカ」にかつて住んでいたことがあり、雑誌『SWITCH』の自身の連載「原宿百景」では千原公園や外苑マーケット、神二にある和田誠事務所でのカットも収録しているなど、この街にゆかりの深い方だ。
とはいえ神二新聞編集部には小泉さんへの伝手は何もない。しかも社長はその上さらに付け加えて、「取材謝礼はいつもの神二新聞の取材どおり、無しで。ダメ元でいけ!!」。
しかし取材依頼を送ったわずか半日後、事務所のスタッフさんが「喜んでお引き受け致します」とお電話をくださった。嬉しさよりも驚きに包まれる編集部。
約一週間後、編集部のあるポット出版に来て頂くことになった。
記憶に残る神二の店・場所は?
まずは、小泉さんの思い出に残る神二のスポットを聞いた。
「やっぱり、ビクタースタジオは私の青春ですね。収録中には紫金飯店、ヘンドリクス、ほそ島や、丸屋そば(2017年に閉店)から出前を取ってました。丸屋さんのかき揚げ蕎麦は男性スタッフたちに人気で。一度便乗して頼んだんだけど、かき揚げがものすごく大きく、私には油の量が多すぎたようで、もどしちゃったことがあります(笑)」。
デビュー当時の小泉さんは16歳。収録後、 遅い時間になったときは、大人たちが神二のお店に連れて行ってくれた。
「鳥伝で焼き鳥食べたり、ぎっちょんで焼きおにぎり食べたり。20歳の誕生日には、当時ステージ衣装を担当していたデザイナーの中野裕通さんがおけいずしに連れて行ってくれたこともありました。イクラが散らしてあるお寿司のケーキを特注してくれて、お祝いしてもらったんですよ」。
ビラ・フレスカと伝説のクラブ、ピテカン
小泉さんが原宿に住み始めたのは18歳。中学生のころから毎週日曜に訪れていた原宿に、デビュー後も遊びに通っていた小泉さんだが、知名度が上がると共に、「キョンキョンだ!」とすぐ声をかけられるようになってしまった。
「好きな街なのに歩きづらい。じゃあどうせなら住んじゃおう、と決めたんです」。
ただし、ファンに住まいがばれてしまうため同じ場所に2年以上は住めない。そこで20歳のころ引っ越したのが、ビラ・フレスカだった。
「白と黄色の外壁のデザインがすごく気に入って、不動産屋さんが挙げてくれた候補の中から決めました。居抜きで借りたんですが、大家さんが置いてくれていた家具もアンティークで、大人っぽくて。ただ、古いからオートロックが無いので、夜は玄関の柵が閉まっちゃうんですよね。当時のボーイフレンドたちが遊びに来るときは、いつも柵を乗り越えて来てましたよ」。
フレスカから歩いて1分以内のクラブ「ピテカントロプス」にもよく通った。現在はメキシコ料理店「フォンダ・デ・ラ・マドゥルガーダ」となっているこの場所は、かつてはMUTE BEATやMELONといったバンドがライブを行う伝説のクラブだったそうだ。
「地下への階段を下る途中で坂本龍一さんとすれ違って、『僕はこれからバーに行くよ。よかったら後でおいで』って声をかけてもらったりね。未成年だったから、私はバーに入れないんだけど(笑)。周りの大人たちが、大人の世界への入り口を教えてくれる街だったんです」。
二つの思い出が中和する特別な街
最後に、今回なぜ神二新聞の取材を快諾してくれたのかを聞いた。
「原宿は私にとって、一人の人間としてのスタートがある街なんです。たとえば新宿は、小さいころ親に連れられて遊びに来た、家族の思い出がある街。でも原宿は、中学生のころ初めて親から離れて、自分一人で遊びに来た街。ここに来ると、何も持っていなかったころの自分を忘れないでいられるっていうのかな」。
そんな街のフリーペーパーが無くなると聞いて、これは取材を引き受けないと神様に怒られると思いました、とにっこり笑う小泉さん。
「結局この街が、もともとの自分と言うと大げさかもしれないですけど、ただの“5人家族の末っ子のわたし”と、おおやけになっている“小泉今日子”を中和してつなげてくれるんですよね。どちらの思い出もある、唯一の場所。自分にとっては、特別な街なんです」。
千原児童遊園地(神宮前2-31-5)にて。当日の朝は曇り空だったが、撮影を開始すると共に日が差し青空に。「デビュー当時から、撮影で雨に降られたことってあまりない」と言う小泉さん。自他共に認める晴れ女だそうだ。
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●撮影2007年より講談社の写真部に所属し、2014年に独立。女性ファッション誌、ビューティー誌等で活躍中のカメラマン。神二在住のカメラマンとして、撮影を引き受けてくれた。愛猫をモデルとした『猫と楽しむニャンスタグラムのすすめ』(インプレス)が発売中。
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