神宮前二丁目新聞

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【第6号】キーワードは「渋谷川」 歴史の転換点でかく変わりし神二の表情

キーワードは「渋谷川」 歴史の転換点でかく変わりし神二の表情


キーワードは「渋谷川」

歴史の転換点でかく変わりし神二の表情

大きな時代の波によって、小さな町も変化していく。
神二をよく知る8人の生き証人たちにこの町がどう変わったかを聞いてみた。

P6_欄干渋谷川にかかっていた欄干。
「味人」「フレッシュネスバーガー」の通りをはさんだ真向かいに今も残っている。

歴史の転換点 其の壱
第二次世界大戦 昭和14〜20年(1939〜1945年)

雨降りゃコイがどんぶらこ!? 家の裏を渋谷川が流れた時代

神二歴83年になる内山秀三さんの少年時代、家のすぐ裏は渋谷川だったという。
「大雨が降ると、新宿御苑の池にいるコイが、渋谷川を泳いできてね。
大人たちがタライですくって刺し身にして食べたもんだよ」…なんて、たくましい時代!
しかし、戦争が始まるとそう呑気なことも言っていられなくなる。
「空襲で川に飛び込んだ人たちのガイコツが、渋谷川を埋め立てるとき何千何百と出た」というのは、
玉川屋の中村光市さんが教えてくれた話。
戦後しばらく経ってからも、今の霞ヶ丘団地あたりにあった防空壕の中で人が生活していたんだそう。
戦争のにおいが残る中、神二の町に東京五輪がやってくる。

歴史の転換点 其の弐
東京五輪 昭和39年(1964年)

さすが東京五輪のお膝元! 国の主導で神二が整備された時代

東京五輪をきっかけに変わっていく神二を目の当たりにしていたのは、島田清代美さんと大友良一さん。
このとき渋谷川は完全に暗渠となって、外苑西通りや、オリンピック道路(千駄谷小学校正門前の道路)ができた。
「2階の物干し台から五輪の聖火台が見えた」と言うのはヤマザキショップの奥山法子さん。
聖火を持って登っていくランナーの姿も見えたそう。
正月三が日以外はフル回転していた神二の商店街。
しかし、店主の世代交代と、原宿にアパレルが進出する時期とがちょうど重なったバブル期、
店をたたんでアパレル事務所に貸し出すところも増え、商店はどんどん少なくなっていく。

歴史の転換点 其の参
バブル期 昭和61年〜平成3年(1986〜1991年)

ホステスが美容室に押しかけた時代 そして渋谷川の流れは今も密かに…

商店の数が減る中、繁盛していたのは美容室。
神二に住むことが銀座ホステスのステータスだった時代で、
Iさんのスター美容室には、16時になるとホステスが店に押しかけたそうだ。
大きく変わった神二だけれど、サイイン写真館の斎院勉さんからはこんな話を聞いた。
神二の土地は水害に遭いやすく、数年前には大雨でユナイテッドアローズが浸水したことがある。
5mくらい掘ると水がしみ出すので、地下深い建物が作れない。
それは今でも地下に渋谷川が流れているから。
普段は気づかないけれど、今も神二の暮らしは渋谷川とともにある。
変わったことと変わらないことの中で、神二の歴史は刻まれていく。

【生き証人File】

P6_内山さん001. 町内鳶(とび)頭 内山秀三さん

神二歴●83年
昭和8年(1933年)生/「空襲のときは、今の日本青年館の地下にあった防空壕に逃げ込みました」
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P6_中村さん002.玉川屋 中村光市さん

神二歴●約60年
昭和10年(1935年)生/「毎月1回、神二の商店街全体が休みになる日がありました」
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P6_島田さん003.クリーニングシマダ 島田清代美さん

神二歴●66年
昭和22年(1947年)生/「初代の父は観音坂で開店。私が3歳のときに神二に引っ越してきました」
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P6_大友さん004.プチ・コーポ大友 大友良一さん

神二歴●68年
昭和23年(1948年)生/「少年時代は戸板をソリにして、今の外苑西通りにあった丘を滑ってました」
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005.ヤマザキショップ 奥山法子さん

神二歴●69年
昭和11年(1936年)生/「22歳で嫁いで来たころは、主人と主人の姉が店を切り盛りしていました」
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006.スター美容室 Iさん

神二歴●53年
昭和16年(1941年)生/「開業当時はホステスたちに“こんなセットじゃだめ!”と鍛えられてました」
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007.サイイン写真館 斎院勉さん

神二歴●75年
昭和16年(1941年)生/「うちが創業する前は、この土地には渋谷信用金庫の事務所がありました」
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P7_別所さん008.La Cantina BESSHO 別所順子さん

神二歴●約55年
昭和18年(1943年)生/「豆腐のキムラ屋があったころはボウルを持って生揚げを買いに行きました」

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