神宮前二丁目新聞

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【第14号】神二でロングインタビューvol.2/澤俊一さん

[神二でロングインタビューvol.2]
町会長になったきっかけは友人との「ノリ」だった!?
澤俊一さん

神二のキーパーソンに、町との関わりや自身の生い立ちを語ってもらうこのコーナー。第2回の登場者は、神宮前二丁目エリアの住民が加盟する「千駄ヶ谷二丁目町会」の会長を8年間務めた澤俊一さん。
今からちょうど60年前に婿入りしてから、神二の町でどのように過ごしてきたかを聞いた。

文・撮影=松村小悠夏
●澤俊一さん
さわ・としかず/1938年生まれ。SAWAビル(神宮前2-21-15)オーナー。結婚後、「大経師 鶴泉堂」を継ぐ。2008年から2016年まで千駄ヶ谷二丁目町会会長を務める。

 

 

丸ノ内線の運転士から「経師屋」へ

すっと伸びた背筋、よく通る声、朗らかな笑顔。御年81歳とは思えない澤さんは、婿入り先の家業「経師屋」を継いだ、職人さんだ。経師屋とは障子やふすまの枠組みを作ったり、和紙を貼ったりする職人のこと。
「このあたりは昔、職人の町でね。神二をぐるっと一周するだけで家が建つくらい、いろいろな職種がそろってたの。畳屋、左官屋、瓦屋もいたな」
群馬県生まれの澤さんは、近所の富岡製糸場を遊び場にして育った。18歳で上京し、神二にやって来たのは21歳のとき。新しい下宿先を探していたら、同じく上京した友人から「俺の下宿先に部屋の空きがあるようだから、お前来ないか」と誘われたのだ。その下宿先というのが、「大経師 鶴泉堂」を営む澤家の2階。やがてそこのお嬢さんと結婚した。しかしすぐ経師屋に弟子入りしたわけではない。
「子どもの頃から機関車が好きでね。27歳まで丸ノ内線の運転士を続けて、経師屋に弟子入りしたのは28歳から」
運転士と経師屋。まるで違う職業だが、転職への戸惑いはなかったのだろうか。
「運転士をやってるころから経師屋の手伝いもしてたから、戸惑うってことはなかったね。いや、働き者だったってわけじゃないよ。運転士は長時間勤務できないから、自分の時間がわりとあるの。帰ってから遊び半分で経師屋の手伝いをすると、まだ弟子入り前だから、義父が『ありがとよ』ってお駄賃をくれて。それを持って新宿のトリスバーによく飲みに行ってたな」

 

町会長として渋谷区の清掃事務所と交渉

澤さんのお義父さんは、千駄ヶ谷二丁目町会の会長を24年間務めたという。その手伝いをしていた澤さんも、自身が70歳のときに町会長に。これも後を継ぐ思いで?と聞くと、「ノリです。単なる、ノリ」と澤さん。
「千駄ヶ谷にあった銭湯『もみじ湯』の店主と『俺たち、70歳になったら町会長やろうぜ』と話しててね。そいつがお隣の千駄ヶ谷三丁目町会の会長を本当にやっちゃったもんだから、俺もやらざるを得なくなってさ」
こう言って笑う澤さんだが、具体的な施策をいくつも進めてきた。そのひとつが、住民のごみの回収方法について清掃局と交渉をしたことだ。
「町会長の仕事でいちばん大変なのはごみ問題なんです。ごみ置き場は町会長の許可がないと増やせないし、移動もできない。だから、町の人はみんな町会長のところへ相談しにくるんだよね」
狭い路地が多い神二界隈では、特にごみ問題が表面化しやすい。置き場が少ないとあふれたごみで道がふさがれてしまうし、かといって「うちの前をごみ置き場にしていいよ」というところはなかなかないから、気軽に増やすこともできない。
「それで、狭い路地では各家庭の玄関先にごみを置いて収集車に回収してもらえるようにしたの。家を一軒一軒回って『今度から個別回収にします』と説明してから、渋谷区の清掃事務所にお願いをしに行った」
2016年まで8年間、町会長を務めた澤さん。辞めるときは引き止める声も多かったのでは?
「こういうのは同じ人間がずっとやっちゃいけないと思うんだ。マンネリ化して同じことしかできなくなる。それを避けるいちばんの近道は人が変わること。新しい人が新しいことをやっていかないとね」

 

地元のお祭りで経師屋の腕を振るう

町会長を辞めた後も神二の町やご近所さんとの関わりは続いており、経師屋の仕事も年に数回受けている。9月の鳩森八幡神社のお祭りで境内にずらりと並ぶ40基ほどの行灯の紙は毎年、すべて澤さんが貼っていて、3日間かけて仕上げるそうだ。
先代のお義父さんの教えで、今も心に残っていることは?と聞くと、「昔の職人は教えたりしないの。仕上がりを見て『これ、だめよ』って言うだけでね」と、澤さん。
「正しい手順どおりにやればできるはず、なぜできないかは見て覚えろってね。『順序が違ったって、仕上がりが同じならいいじゃない』と言ったことがあるんだけど、『いや、違うんだ』って。順序通りやったほうが不思議ときれいに簡単に仕上がる。職人に限らずどんな仕事でもそういう一面はあるもんだよね」
苦労したことや努力したことを尋ねても、「俺なんか飽きっぽいだけの人間だから」と笑ってかわす澤さん。昔気質の職人さんの姿を見た気がした。

澤さんが神二に来た1959(昭和34)年ごろ。「大経師 鶴泉堂」の左隣は傘屋、右隣は石材置き場で、この一帯は職人の町だった。
(写真提供=神宮前二丁目商和会役員・大友良一さん)

現在の同じ場所。経師屋の建物は、澤さんがオーナーを務める「SAWAビル」となったが、場所は今も変わっていない。

経師屋の仕事袋。障子やふすまに紙を貼るときの刷毛、へら、ローラーなどが入っており、これを腰に巻いて仕事をする。

 

「大経師 鶴泉」の看板。作業場である1階のガレージ横に今も掛かっている。

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